人間関係は最大の修行かも

人間関係は最大の修行かも

 

今まで生きてきて思いますが、この世界で生きている限り人間関係というのは避けて通れない道です。

 

私もサラリーマンを30年ほどしてきましたが、様々な人に出会いました。 

でもこの修行の最大の目標は、人のせいにしないということだと私は感じています。 

すべてのことは自分が発端で起こっているといかに早く気が付くことではないかと。

 

これは実に言うには簡単ではありますが、行動するのは実に難しく過酷な課題であります。

 

言うがやすし、行い難しってやつです。

 

多くの人は自分を怒らすのは相手だと思います。 当たり前です。

 

私が過去起こっていたのは、

 

約束の時間に遅れる。 言い訳ばかりする。  嘘ばかりつく。 先送りして判断しない。などなど。

 

約束の時間に遅れるというのは、時間の管理もできないのか? だらしのないやつだな。

 

 

言い訳ばかりするのは 潔さがない奴だな さっさと謝ればいいのに

 

嘘ばかりつく また嘘をついている。 本当に信用のならないやつだな。

 

先送りして判断しないのは、またやっている。よくそんなんでマネージャーできるな 判断するのが仕事だろ

 

こんな時代の私はいつもイライラして、とがっていました。 また体は悲鳴を上げてきていました。 

その時の体の不調は非回転性のめまいです。 これには驚きました。

私はめまいは目が回るのでめまいというと思っていたからです。

 

しかし非回転性のめまいがあると。 症状は私の症状そのまま。 発作的に気分が悪くなり、頭と首が分かれてしまい、気持ち悪くなって食事はとれないし、何も考えられないし、ちょっと前のことが思い出せない瞬間記憶喪失状態になるんです。

これが多いときは一日に12回も起こるのです。

 

この時に使った薬は苓桂朮甘湯です。 これは大変よく効きました。 まさに非回転性の特効薬といっていいでしょう。 発作がなくなり、これではまずいということで、考えを変えました。 

 

怒りを相手に向けることは間違っていると頭ではわかっているですが、いままでできませんでした。

しかしここまで追い込まれると真剣に考えざる得ないです。

 

怒りの矛先を自分に向けるようになってから、時間に遅れることもあるよね。自分も遅れることあるし。

だんだんイライラがなくなって、自分が適当でいいんだと、普段受け入れることができない行為を自分がすることでだんだんと自分を許すことができるようになってきて、生きるのが楽なってきました。

 

相手を縛ることで自分を縛っていて自分で自分を縛っているアホさを思い入り知りました。

 

 

まだまだ自分でも気が付いていない事象があると思います。 それは多くは怒りの感情です。

その時はこの怒りはどこからきているのか? 何が怒らせているのかを自問するようにしています。

 

そうすると新たな自分が発見できます。 そうかそこに私の怒りスイッチがあるのかとワクワクします。

まさに自己発見です。

 

私はまだまだ修行中の身です。 誰か私を怒らせてくれないかなー なんてね。

 

 

 

 

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